1年前から準備をしている新規事業が、スタートまで1ヶ月の状況で過ごしているふでまりです。
と言っても、私個人の取り組みではなく、職場の新たな柱の話です。
具体的には触れませんが、全国展開を視野に入れているため、専門的知識やスキル、センスを発揮できるスタッフを、まず増やさなければなりません。それに伴い、スタッフを育てる専任講師として私を含めた数名が指導内容など諸々のすり合わせで都度集まっては講義のデモンストレーションを交代でおこなっています。
講師陣のそれそれが、別々の分野で教壇に立っていた為、持ち寄るアイデアもさまざま。刺激を受けながら、出来上がっていく指導のかたちをアップデートしていくのですが、ここで立ち止まって首をかしげるのが、わたくしふでまりでございます。
というのも、アップデートは大歓迎なのですが、ある講師が、従来の板書スタイルの講義を突っぱね、いきなりパワーポイントで実技を始めたのです。正確には、事前にボス相手のパワポ実技をしたらしく、その便利さにボスが感動した経緯があるのですが、要は、水面下でパワーポイントでの指導が決定していたわけです。
内情を綴るのはある意味恥ずべき行為でもあり、愚痴の要素も滲み出てしまうのですが、ここは脳内を綴る場としてご容赦ください。
当日、それでも前向きに受講者役として席に着き定刻を迎えたのですが、早速プロジェクターあるあるが出現しました。デバイスを上手く読み取らず、ああでもない、こうでもないと四苦八苦。結局準備ができて講義を開始したのは30分後でした。口角を常に上げておくことが必須の職業なのですが、既にこの時、心の内から飛び出しそうな声をおさえるのに必死な私が。
『板書なら一区切り進んでいますよ。』
と。
まあ、このご時世、マスクでへの字口が見えないことは救いでしたけどね。でも、目は口ほどに物を言うと言いますから、ボスはふでまりの表情を見て『あれ?』と思っていたかも知れません。
ようやく始まり、ここからはふでまりも切り替えて、傾聴モード全開です。
指導経験豊富なその日の講師、さすがです!と拍手を送りたくなるほど言葉の運びも上手く、用意した内容もユーモアたっぷりです。ボス筆頭に楽しい空気で大盛りあがりの中、講義は進んでいきます。
中盤、ふと、違和感を覚えたのが、またまた面倒くさい性格のふでまりでした。
『ん、流れて消えていく。ついていけない。』
当然、指導する内容は熟知しているはずで、まっさらな受講者役をやりつつ、どれだけ伝わるのかチェックをするわけですが、映像ごとの説明は素晴らしいのに、1枚1枚変わるたびに消えていき、全体が繋がらないのです。
他の誰ひとり、疑問をもつ様子はなく、私の飲み込みが悪いのかしらと思いながら、しばらく投影される映像を目で追っていました。
そのうちに、新たな違和感がやってきました。ボスから嘆願されていた、順番通りの指導。ボスの思いの根底には、自分と同じように講義をしてくれる、いわゆるボス・クローンが欲しいのです。その思いを忠実に守ってきた私は、今回の講師が順番をあちこち分散させていることに気づかないはずがありません。
二つの違和感が平行線を辿り、たまらなくなったふでまりは、講義途中で水を差してしまいました。
「映像が流れて、残りません。やっぱり“書く”という動作が、記憶を促すと思うんですよ。」
笑顔で淡々と返された言葉に、私はショックを受けずにはいられませんでした。
「はい、大丈夫です。受講者用の資料は、記入してもらう所を空白にしていますから。私たちは何とか楽をしようと、この形です。ふふ。」
『え?』
もう、言葉を返す気も失せてしまい、その講師の人間性まで疑わざるを得なくなってしまったことは言うまでもありません。
百歩譲って、講師個人の性格は問わないにしても、書く動作の効果を分かっていないことは、もうお手上げでした。
プレゼンテーションならまだしも、いやしかし、教壇でパワーポイントを使うことが悪いと言っている訳でも、板書で通すべきと言っている訳でもないのです。
どちらも一長一短ありますから、抽象的な表現ですが、双方を上手く組み合わせるなど工夫すればよいと思うのです。
あの場面で“書く”ことを言及したのは、受講者だけではなく、講師自らもその動作をして見せることで、実はさまざまな効果が期待できると言うこと。言葉の運び、説明がどれだけ上手でも、受講者が必死に映像を見ながら書きとめているあいだ、横の方で講師が片足に体重を乗せて立っている光景など、言語道断。
少し専門的になりますが、ノンバーバル(非言語)、いわゆる言葉ではない態度、見た目などの印象が与える影響や効力を、私たち人間はあなどってはいけません。
今はオンライン授業や、タブレットを使った授業など、その形態が様変わりしていますが、学校から完全に板書が無くならない大きな理由は、ここにあると思うのです。
パワーポイントも、作る過程や準備は大変です。でも、指導者として教壇に立つならば、やはり“書く”ことでその場を共有し、熱意を伝えることが大事。その表現力で意欲を促し、吸収力アップに繋げることを忘れたくないのです。
ましてや、ふでまり達の役割は新スタッフを育てることですから、できるようにならないと意味がないわけで、そもそもボスは何の違和感も覚えないのかしらと、不思議で仕方がありません。
何はさておき、間違っても、教壇に立っている姿に自己陶酔することだけは避けたいところです。
新規事業の行方はどうなることやら。くわばらくわばら。
つらつらと、脳内放出させていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
それでは、ごきげんよう。