ふでまりぶろぐ

50歳オバサンの凡人脳を綴る

【運転免許】自主返納は促すべきか

こんにちは。ふでまりです。

 

 50代に差し掛かると、体力の衰え、判断力の低下、思考の偏り(柔軟性の欠如)などに加え、それらも含めた精神面での悩みも増えてくるのを実感します。

 世の中には、並外れた努力で外見も内面も驚くほど若さを保っていらっしゃる方もお見受けしますが、大概の人は白髪や手のシワが増えていくのを認めながら年を重ねていくのではないでしょうか。

 「ひとり」の人生を謳歌している人なら今の自分を保つことに注力するのも難しくないのかも知れませんが、それでも人はひとりでは生きていけないのが常で、何らかの形を介し自分以外の誰かと交流しながら暮らしていくものでしょう。私たちが生身の人間である以上、交流は心対心で成り立つものですから、そこには喜怒哀楽があり、持ち合わせた様々な感情をコントロールしながら生きていかなければなりません。

そのようにして生活していく中で、私たちは、自分以外の人の問題や悩みに関わる事も少なからず経験していきます。

 

今回は実際に直面している生活上の問題事例として「自動車運転免許の返納を拒む高齢の父」を挙げ、同じ境遇にある、あるいはこれから迎えるかも知れない事態に対する心の備えとして、お役に立てるかどうかは分かりませんが共有できる部分があればと思い書かせていただきます。

 

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ふでまりの父は80歳が近いのですが、若い頃から重労働に徹してきた生粋の仕事虫です。電信電話工事業でしたから、電柱の足下がすっぽり入るように大きな穴を掘って電柱を立て、直径何十ミリという太さのケーブルを張っては何㎞も移動してと言うような作業を、時には県をまたいで出稼ぎに行き仕事仲間で泊まり込むこともあれば、通いで帰宅時間が22時過ぎることもザラでした。

父だけ遅くなるのなら問題ないのですが、若い頃の母のこだわりだったのか半世紀前の時代がそうさせたのか、子どもである私たち三兄妹も夕飯お預けで父の帰りを待っていたものです。しかも、休むことを知らない生真面目な性格に加え、休ませることを知らない言わばブラック企業のような会社でしたから、物心ついたときからあった年中無休の生活スタイルが、ふでまりには当たり前の光景でした。

昔は穴を掘るのも電柱を移動させるのもケーブルを張るのも、ほぼ全てが手作業でしたから、父の身体の全身にその歪みが残っているのも事実ですが、父はそれを誇りのように語ります。更にもう一つの誇りとしてあるのが、少し時代が進んだときに取得した数々の免許です。普通自動車運転免許は早くに持っていたようですが、職業柄大型レッカー車に乗ることも多く、この免許に関しては付随するいくつかの免許も必要で、車の運転に関しては特にそのプライドを抑えることが難しいようです。

父の生真面目な性格は、裏を返せば融通が利かない頑固者を表すことも意味します。

思い起こせば昔、母の実家に移動する道中、狭い道での離合時に対向車に向かって暴言を吐いては道を譲らせていたことも少なくありませんでした。ふでまりの大嫌いな光景の一つです。つくづく小さいなと思ってしまいます。

この小ささで、生活のあらゆるシーンに苦しんできたのが母なのですが、どうやら性格は変わらないようでいまだに手を焼いています。

前述の道中の暴言はあくまでも知らない人向け。知っている人にはとても人当たりがよく、外づらの良さは天下一品でしたから、家の中での変わりように戸惑いながらも、母はよく耐えてきたと思います。

ちなみに、父の中では三人の子どもは外づらの相手に区分けされているようで、実際に母に怒鳴っている姿を見た記憶がありません。父が自分の素とわがままを放出できる相手は母だけと言うことです。それだけに母も、誰にも分かってもらえない情けなさを抱えています。

このような状態で15年ほど前のある日、長男夫婦との同居が始まったのですから、父も息苦しいのと仕事虫の性格も手伝って、現役を退いてからは夜が明けて日が暮れるまで畑作業をしています。少々の悪天候は気にも留めず鍬を振っていますから私から見れば畑は待避場所です。ふでまりも農業ガールだったので農業の大変さは知っているつもりで、決して父を揶揄するわけではないのですが意固地なのは確かです。

身体のあちこちに歪みを抱えながら、3年ほど前に自転車ごと1m深さの側溝に落ちたことで杖が必要な生活になったのですが、最近は耳も遠く補聴器をつけなければスムースな会話ができません。

それでも、父の居場所である畑で生き甲斐をもって野菜作りをしています。そうなると必然的に資材や肥料など、決して近くはないホームセンターまで買いに行く動作が生まれます。

もともと買い物が大好きな父ですので頻繁に軽トラックに乗って出掛けるのですが、ふらふらのろのろと、とても見ていられない運転なのです。

身体中ダメージだらけなうえ、食事をしていたと思えば眠り、新聞を読んでいる最中に眠り、テレビを観ている姿勢で眠ることがふえました。この程度であれば疲れているのだろうと笑って放っておくのですが、ここ最近はお風呂で湯船に浸かっても眠ってしまい、そのまま頭まで沈んでも気付かない事があるのです。こうなると今度は湯船から自力で上がることができず、家族総出で引っ張り出してベッドに寝かせるまでの一行程が突如発生するのですが、決まってその後の数日は、歩きなれた自宅の廊下でさえ転倒を繰り返します。そしてこの場合も力が入らず自力で起き上がることができないのです。そして、数日経過して落ちつくと嘘のように畑仕事をしているのですから、本当に不思議です。

脳の検査もしていただいたのですが、異常はみられず本人もケロッとしています。

実家は事業をしていて事業所が自宅ではないため、健康体ではない父を置いて皆そちらへ出掛けます。揃って帰宅が夜9時を過ぎることも少なくなく、一人自宅で待つ父も父なりに気を利かせるのでしょう、先に入浴を済ませておこうと一人で湯船に浸かるのです。

母以外には「外づら」モードで気を遣いすぎるため、同居する長男の嫁に対するそれも見ていられないほどで、結果的に家族皆の手をとることになるのが、父の行動パターンです。

さすがに予想できないタイミングで倒れたりされると、自動車運転免許を手放すよう促すのはあるべき家族の姿だと思うのです。

実家の面々もすぐに家族会議を開き、父もその場で聞き分けのよい受け答えをして次の日を迎えたのですが、それからが大変です。

家族会議の父は外づらモードの父ですから分かりきった事なのですが、買い物があればいつでも言って欲しいと全面協力体勢の嫁を差し置き、陰で母に愚痴を連発し始めました。運転には自信がある父ですから、免許返納なんて考えたくはないのでしょう。

ここまで読んでくださった方は想像できるのではないかと思いますが、このような状態の高齢者が涼しい顔をして運転していると思うと、背筋が凍ります。

聞き分けなく運転したとして単独事故ならまだ救いがあるし、それで命を落としたとしても冷たいようですがそれは自業自得。

最悪なケースは、人様をはねてしまうことです。考えたくもありませんが、もう取り返しのつかないことになってしまいますから。しかも、明らかに免許を返納した方がよい状態なのに、それを押し切って当の本人は来月の高齢者講習を受けようとしているのです。実家の面々も頭を痛めていて、私からも説得して欲しいと母などは訴えてきます。もちろん説得はしますが、その時の父は聞き分けが良いからあまり意味が無いのです。

仮に、今の状態で高齢者講習など受けても恐らく通してはくれないと思います。そう信じたいのですが、万が一通ったとして、その後免許を返納する父の姿を誰が想像するでしょうか。それどころか、益々自信をもってハンドルを握りたがるでしょう。

今は運転ができないように、車の台数も減らし細心の注意も払っていますが、父もやりきれないのか、手押し型の中型耕運機を使ったり、トップカーという農業などで使用する動力運搬車を動かしたりと、全身で反発しています。農業に携わっている方はお分かりと思いますが、いずれも杖を使って生活しているような人間には危なくて使って欲しくないような機械です。耕運機は土を耕すのですから、数枚の金属の歯が高速回転します。トップカーは金属の分厚い板の下にタイヤが付いていて、エンジンをかけると車同様に走らせることができます。自分が動かすトップカーの下敷きになって死亡するケースをよく聴きますから、作業を一日中見張っている訳にもいかず、今日一日事故なく過ごせたことに胸をなで下ろすよりほか、方法が見当たらないのが現状です。

家族間でトラブルを起こしてまで強制的に返納させるのがよいのか、家族の誰かが見守りに徹して荒波をおこさず過ごすのがよいのか、ただ、後者に関してはそれが可能であるのなら既に実行していることなのです。

ニュースなどで高齢の方が家族に促され免許を返納したことをインタビューで答えたりしていらっしゃいますが、そんなに素直に受け入れることができたのだろうか、どのように説得されたのだろうかと、質問項目がたくさん湧いてきます。

長々と身内の現状を綴ってしまいましたが、もしもどなたかの目に触れて気に留めてくださる方がいらっしゃいましたら、ご意見アドバイスなどお寄せいただきたいです。

父の身体が全く動かせなくなるときと、復活して畑仕事をし始めるときのスイッチについても、不思議で不思議で仕方がないのです。見る限り故意とは思えず、この件を考えるつど「人体の不思議」という言葉も同時に浮かんできます。

子ども三人を食べさせてきた若かりし日の誇りと努力が、どうかエゴイズムによる最悪の結末で塗り替えられることがありませんように、穏やかに過ごせることをただただ切望しています。

やがて迎える高齢期に備え、ふでまりも心身ともに可能な限りの健康維持を目指そうと、書きながら気持ちが引き締まりました。

 

今回はこの辺で。

次回のお越しもお待ちしております。

では、ごきげんよう

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