こんにちは。ふでまりです。
今朝の書道は筆が思うように運ばず、2時間ぐらい粘ったものの行き詰まったため、休もうと思っていたブログを更新することにしました。
事務職として勤め始めてからは平日ゆっくりすることもなかったのですが、早々に長期休暇を満喫し、一人時間のささやかな楽しみである家事後の1杯のコーヒーを今朝も楽しんでいました。
コーヒーの専門家やお店をしていらっしゃる方、コーヒー通、コーヒー好きな方の足下にも及ばないド素人ですが、ホッとする瞬間などカラダが欲するタイミングがあり、その声が聞こえた時だけ飲んでいます。
そのタイミングが、在宅ワークの時にはたまたま毎朝の家事後だったと言うことなのですが、振り返ってみると結局毎日どこかのタイミングで飲んでいます。
自分で豆を挽いて、とかではなく市販のドリップコーヒーですけど。
マグカップは息子が学校で貰った記念品(のようなもの)
昔は豆を挽いて…の順序を踏んでいましたが、心にゆとりが無くなり始めた頃からでしょうか、気付けばこんなことになっていました。
つまるところ、私の口には充分なドリップコーヒーなのです。
(↑「ドリップコーヒーで充分…」という表現ではメーカーさんに失礼すぎるし、私の意からズレるため、文のバランス的に変ですが敢えて上の表現です)
そして、今回このドリップコーヒーを記事に取り上げようと思った理由があるのですが…
その、心にゆとりが無くなった頃、要は生活(経済面)においてもゆとりを感じることができなくなったため、例えば夫と2人分のコーヒーをドリップするときマグカップは2つ並べておいて夫の方にだけコーヒーをセットしていました。
夫が「お前のコーヒーは?」と聞いてくると「その出がらしでいい。」と、やや棘を残して突っぱねていました。
ケチな私は心の底までケチ臭く、ブレイクタイムさえも楽しめない人になっていました。
ここまでくると、コーヒーの味わいどころか、もう飲む意味も無いほどでしたが、やはり片隅ではくつろぎを欲していたのか、くつろぐ動作だけはしていたんです。滑稽ですよね。
しかもこの動作って、取りようによってはものすごくパートナーが傷つくかも知れないわけです。「稼ぎが少ないから私は出がらしを飲んで我慢しています!」って、当たり散らしているようなものですから。人によっては、逆ギレされるかも知れないのです。
正直、私が生活を回していた時期は確信犯でした。最悪です。今は大反省しています。
でも、夫は私の一概ぶりや心の波を良く理解してくれていて、どんなときも黙って、穏やかになるタイミングを待ってくれていました。
今もそれは変わらず、私の機嫌が良くない時はそっとしておいてくれるし、気分が良い時の私のコメントには受け答えもしてくれます。
夫が開き直れる理由の1つに、卵巣全摘による副作用の一つである「極度の更年期症状」という“持ち札”的な支え?があるかも知れません。あれから7年も経過しているので、私もすでに真の更年期に入ってしまいましたけれど。
ドリップコーヒーの話に戻ります。
記事に取り上げようと思ったのは、濃いめに抽出したコーヒーを口に入れた時の数日前の衝撃が凄かったからです。
1杯目を抽出した後の出がらしをすすっていたような者が、コーヒーを語るのはどうかとも思うのですが、良かったら読み進めてみてください(^_^;)
マグカップって一般的には大きめで、入る量もコーヒーカップの1.5倍から2倍近いことが多いです。
上の写真にある我が家のマグカップも、300ccは入ります。
ケチな私でも、1人の時はちゃんと1人分をドリップしますが、実は、今まであまり注ぐお湯の量のことまで考えていませんでした。
さすがにマグカップになみなみと、までは行きませんが、それに近い量までドリップしていたのです。
少しコーヒーを飲み慣れている方なら、この時点でお気づきと思いますが、せっかくの個包装パックも台無しです。ただ苦いだけ。
それを、自分の無知さと探究心の無さを棚に上げ、値段が安いからこんなものか、など変な理由をつけてはそれでも同じ物を買ってはドリップしていました。
ひと月ほど前になるかと思いますが、あるテレビ番組でコーヒー専門店の店主かどなたかが、こだわりの豆の話や焙煎のこと、抽出の云々にも触れていました。
「抽出の際、お湯の量は200ccまでです。」
この言葉に即反応したのは夫でした。
「だってよ」と。
鬼の首を取るかように、ここぞとばかりに一言を私に放ってきたのですが、私も素直じゃないから何だか負けた気分になって、無反応でその場をやり過ごしました。
それでも200ccが頭から離れず、大型連休に入った先週末、朝家事終了後の一人のタイミングで試してみたのです。
ホント、素直じゃない^^;
まず、カップに落ちる水分は粉が吸収する分だけ減るので、最終的にはマグカップの半分ほどの高さまで注がれた形になり、かなり少量のイメージですが、よく考えてみると、いつも多めにしておきながら、毎回最後まで飲めず酸化したっぽい味が満腹感を加速させてシンクに流してしまっていたので、200cc(抽出後は150ccぐらい)という量は、結果的に私にはちょうど良かったということになります。
そして抽出後のカップ内の見た目です。超苦そうです。でも上がってくる香りが明らかに違いました。
胃にガツンときそうなのをイメージしながら口に運んだのですが、次の瞬間に市販のドリップコーヒー超ウェルカム姿勢になったのです。
ふ、深い!
お湯の量でここまで違うものなのかと、今まで私は何をしていたのかと、ひっくり返りそうなくらい美味しいコーヒーに全力で謝りました(ワタシ、モノニハナシカケルノシュウカンデス)。
出がらしにからむ過去を反省し、今更ながらケチケチトゲトゲしていた自分を恥じております(--;)
あれは節約ではありませんでした。
生活のささくれを増進させていることが見えていない、心の小さな私の勘違いでした。
一杯のドリップコーヒーから得た大きな気付きです。
これからはマグカップを2つ並べたらそれぞれにコーヒーをセットし、200cc抽出の香りと味を楽しもうと思います。
極々当たり前のことなんですけどね。
ものすごく遠回りして目的地に辿り着いたような、お恥ずかしいエピソードでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回のお越しもお待ちしています。
では、ごきげんよう。